『リズと青い鳥』感想 disjointと現在を探る

 

リズと青い鳥[Blu-ray]

リズと青い鳥[Blu-ray]

  • 発売日: 2018/12/05
  • メディア: Blu-ray
 

 

2020年5月、唐突に『リズと青い鳥』のBDを購入。公開当時(2年前!)に書いていた感想記事を完成させようという気持ちになったので下書きにあったこの文章に手を加えているという段階である。

映画『リズと青い鳥』は、武田綾乃による小説『響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章』で描かれる、鎧塚みぞれと傘木希美のエピソードを映画化したものである。原作小説シリーズは基本的に主人公・黄前久美子の視点で描かれており、これは同シリーズをアニメ化したTVアニメ『響け!ユーフォニアム』(以下『ユーフォ』)においても同様であるが、本作では久美子の視点は排除されており、キャラクターデザインも変更されるなど、『ユーフォ』とは異なる手法で映像化された作品となっている。

『ユーフォ』は、本作と同じく京都アニメーションによって制作されており、2015年のTVアニメシリーズ1期に始まり、2020年時点では劇場版アニメも複数放映されている。アニメーションのクオリティは非常に高く、とりわけ言葉として発されない言外の思考や感情を、キャラクターの仕草や目線などで表現する画面作りには目を見張るものがあった。動作の芝居とでも呼ぶべきリアリティのある描写に関しては、以下のtogetterまとめが非常に面白い。

「響け!ユーフォニアム」キャラの生理表現に見る新しい芝居の作り方 - Togetter(https://togetter.com/li/889093

 

 本作『リズと青い鳥』では『ユーフォ』でシリーズ構成や演出を担っていた山田尚子氏が監督を務めるが、『ユーフォ』で随所に見られた、非言語的表現、生理的描写が更にクローズアップされており、その方針に合わせたキャラクターデザイン変更なども相まって、その写実性を大きく増している。会話のテンポや間の取り方も徹底されており、山田尚子監督が語る「脚本段階の想定から、作品の尺が倍近くになった」というエピソード(映画パンフレット15P)はそれを象徴していると言えよう。

キャラクターの心情の説明を台詞やモノローグだけに頼るのではなく、むしろ台詞の裏に隠れた真意をも画面と音響と芝居とで描写する本作のスタイルは、劇場作品という形態との相性も抜群であり、「実際に劇場に足を運んで観てもらうことで最大のポテンシャルを発揮する作品」と山田尚子監督も語っているところである。

また本作のBDには特典映像として、本作の先行上映会に際して行われた主要キャスト・スタッフによる舞台挨拶の様子が収録されているが、そこで鎧塚みぞれ役の種崎敦美さんは「私たちよりも前に画が芝居をして下さっていて、とても演技がしやすかった」とアフレコの様子を振り返っている。何よりも雄弁なのは身体的な反射である、『ユーフォ』で垣間見えるそうした生理学、リアリズムが徹底されていたからこそのエピソードではないかと感じる。

上記からも本作には、あらゆる画面、演出に、緻密に計算された意図があることが裏付けられる。これらの諸要素に関しては2020年現在、識者による洞察、考察が数多くアップロードされており(記事の最後に興味深かった記事のリンクを貼ってあります)、何を書いても二番煎じになりそうなことこの上ないが、自分なりにテーマを設けてアプローチしたい。

本文のテーマは『リズと青い鳥』で描かれる『時間』である。タイトルにも登場させているが、冒頭で演出として差し込まれる『disjoint』の文字。そして、終盤に二人が対峙するシーンで鎧塚みぞれが発する「私にとってはずっと現在(いま)」という言葉。これらを重要なポイントとしている。

 

1. disjointが絶ったもの
2. 鎧塚みぞれの「現在」
3. disjointが絶ったもの(再)
4. 「互いに素」の共通因数

 

1. disjointが絶ったもの

本作の演出の中でとりわけ異彩を放つのが、序盤と終盤で『disjoint』、『joint』の文字が差し込まれるカットである。現実世界と絵本の世界を視点が行き来したり、水彩画タッチで描かれた青い鳥の世界が画面上に現れるなど、本作は「カメラ一台で全てを撮り揃えた」という作品でこそない。しかし『(dis)joint』の演出はやはり特殊で、作り手が視聴者へと直接的に投げかけるメタメッセージ的な性質を持っている。物語への没入を削ぐ危険さえ孕むこの演出には、当然大きな狙いがあって然るべきだろう。

『disjoint』には品詞ごとに多少異なる意味があるようで、形容詞では「互いに素な」といった意味合いになる。「互いに素」とは数学用語であり、「二つの数字が1以外の共通の因数を持たない状態」を指す。4と5という数字に関して言えば、4の因数は1と2と4。5の因数は1と5。両者の共通因数は1だけだから、4と5は互いに素である、といった具合だ。劇中、数学の授業のシーンでは教師がまさにこの「互いに素」に関する説明を行っている。作り手が「互いに素」という概念を意識していることは明白であり、希美とみぞれの関係性を考えるに当たっても非常に重要であることが見えてくる。

一方で、動詞としての『disjoint』は「離れる」という意味合いを持っている。作中で『disjoint』の文字が登場するシーンを振り返ると、実はこの文字はわずかに揺れ動いている。文字を動かすことで、印象をデザインする意図は当然あるだろう。だが個人的にはこの「文字が揺れ動いている」というポイントから、『disjoint』には「動詞」としての役割が強く与えられていたのではないか、と考えてみたい。

希美が音楽室に入っていく際に、果たして何が「離れて」しまったのか。結局、終盤の『joint』のシーンまでその何かはずっと「離れて」いることが示唆されている。大雑把に言ってしまえばそれは『希美とみぞれの心理的な距離』という類のものであろう。そしてその『心理的な距離』というものを更に突き詰めてみたとき、それは二人の『時間』という形で取り出すことが出来るのではないかと考えるのである。

 

2. 鎧塚みぞれの「現在」

みぞれの台詞、「私にとってはずっと現在(いま)」について検討してみる。この台詞が登場するのは、生物室でみぞれと希美が対峙する、本作のクライマックスとも言えるシーンだ。『ユーフォ』のTVアニメ二期で詳細に描かれている(原作は未読)が、1年生の頃、希美はみぞれに黙って吹奏楽部を退部している。その行動を糾弾したみぞれを、希美は「昔のことじゃん」といなすのだが、それに対してみぞれが「昔なんかじゃない。私にとってはずっと現在」とこのように返すのである。

みぞれからすれば希美の退部は、希美と顔を合わせるだけでも体調に影響が出る時期があった、という程の大きな出来事である。TVアニメシリーズでは一旦の解決を見せたものの、みぞれの中で完全には解消しきれてはいなかったと言っていい。「リズが青い鳥を逃がす心境がわからない」とみぞれが強く思うのも、自身の側から希美が離れて行った経験が今も彼女の心に影を落としているからであり、「希美がまた突然どこかへ行ってしまうのではないか」という恐怖と彼女は常に戦っている。

生物室で行われるこの攻防は、希美が清算し消化したと考えている『過去』が、みぞれにとっては永遠に近しい『現在』であるという両者の時間のズレを示唆する。もちろん希美とて、この退部事件に関して思うことが無い訳ではない。劇中で希美は夏妃に、みぞれとのすれ違いを感じていることを相談し、「過去の退部事件を今もまだ根に持っているのではないか」と懸念している。

希美は無神経な女子ではないし、フルートのパートで後輩の輪の中心にいる姿や、ふと我に返りながらも取り繕うような笑顔を作ってみせる場面からも、むしろ人間関係には敏感であり、円滑な世渡りの術を持つパーソナリティは十分に描写されている。

しかし、だからこそ、希美は彼女なりのロジックで、退部事件を『過去』の出来事とする手続きを済ませてしまうことが出来る。夏妃に相談した後、希美は「青い鳥ってさ、リズの元に戻ってきても良いと思うんだよね」と彼女なりのリズ観を示す。夏紀には「それじゃリズの決心が台無しじゃん」とやんわり否定されるも、「でも、ハッピーエンドじゃん?」と決して引きはしない。

この時点で希美は、「リズ=みぞれ」、「青い鳥=希美」といった形で両者を重ねている。退部事件を絵本『リズと青い鳥』と照らし合わせるなら、「青い鳥=希美」は退部することで「リズ=みぞれ」の元から去ってしまった。絵本の世界であれば、物語はそこで幕を閉じる。

しかし希美は2年生になってから、吹奏楽部への再入部を果たしている。この希美の行動は、「青い鳥はリズの元に戻ってきてもいい」というリズ観に重ねることが可能であり、そして希美はそれこそが「ハッピーエンド」の形だとも考えている。希美の中ではみぞれに対する禊は完了しており、退部事件も清算済の『過去』として考えている節がある。となれば、「未だに根に持っているのではないか」という懸念こそ抱けていても、対応する反駁が希美の中には準備されており、みぞれの糾弾に対して「昔の話じゃん」と返答してしまうのもごく自然な心の動きだと理解出来る。

当然ながら、みぞれの考えはそれに相反している。みぞれの中では退部事件はまだ終わっておらず、膨らみ続ける巨大な『現在』の一角を成している。「私にとってはずっと現在」という台詞は、みぞれの世界、みぞれの時間が、停滞していることを示す。永遠に続く煉獄のような思春期が、みぞれの世界には渦巻いている。点ではなく波となって膨らみ続ける、巨大な現在。ある種の言葉遊びだが、英文法でいう「現在完了形の継続用法」というのが、みぞれの状態を言い表すにはしっくりくるだろうか。

作中、音楽室の時計が映るシーンがあるが、そこには文字盤が描かれておらず、時刻が分からないようになっている。画面のディテールにこだわり抜いている本作が、意図も無しに「描写しない」という選択をするとは考えにくい。みぞれの『現在』が停滞していること、みぞれの時間が永遠に『現在』であり、秒針すら未来に進まないことを暗喩する、そうした意図があるように思う訳である。

また、みぞれの「私にとってはずっと現在」の直後、希美はたじろいで後ろに手を組むのだが、その際に右手が腕時計にそっと触れる。このポイントも、二人の時間が重要なファクターであることを示すように思う。時計に触れることで暗喩的に『現在』が確認される。希美はこの瞬間、両者の間にあった『現在』のズレを感じ取るのではないかと思う。


3. disjointが絶ったもの(再)

『disjoint』の前後のシーンに立ち戻りたい。この日の早朝練習は、『リズと青い鳥』が自由曲に決まり、オーボエとフルートの掛け合いが大事であることが認識されてから一回目のそれであろう。希美とみぞれに対して、教室に入ってきた優子や麗奈が投げかける言葉からも、間違いは無いかと思われる。

つまるところ冒頭の登校シーンは、日常ではなく非日常である。普段から一緒に登校する機会が無かったとすれば、みぞれにとっては非常に緊張する場面であろう。その緊張感は画面から痛いほどに伝わってくる。希美が先導して歩いていく光景も久しぶりのことであるはずだ。

登校シーンの後半から、みぞれの回想は始まる。中学時代にも同じ構図で、希美が勇ましく前を歩く光景があった。みぞれの『現在』とは、希美との世界である。中学時代に希美に吹奏楽部に誘われたその日から、みぞれの『現在』は続いているのだと言える。音楽室までの五分間で、沈殿していた澱は混ぜ返され、みぞれの『現在』はその輪郭を明確なものにする。

一方、希美からすれば、みぞれがそんな回想をしていることなど思いも寄らない。過ぎ去りし日々の風景が彼女の脳裏を過ることはなく、代わりに頭を埋め尽くすのは自由曲『リズと青い鳥』のことである。希美は自由曲がこの楽曲になったことを喜んでおり、フルートのソロパートを吹きたいという強い想いも抱えている。モチベーションは非常に高く、原作の絵本を早速練習に持参するほどだ。音楽室までの道筋に限らず、練習の楽器準備においても全て希美が先行し、みぞれがそれに追随するといった様子が描写されている。

希美は、みぞれが「一生来なければ良い」と願うコンクールの本番に思いを膨らませ、意気揚々と音楽室へ進んでいく。音楽室に入る直前、希美はその場で一度ターンをするのだが、絵本世界においても、青い鳥の女の子が、丘を駆け下った後に一度ターンをする場面がある。その際にリズは「一人にしないで、側にいて」と懇願し、みぞれもその部分を口に出して読むのだが、まさしくこれは、希美が音楽室に入っていくことで、みぞれが一人取り残されてしまうことを暗喩していると言える(本来の役割は逆なのだが、この時点での当人たちの認識に照らせばそうなる)。

希美が音楽室に入ったところで『disjoint』の文字は現れる。音楽室までの五分間でみぞれの中で明度を増した『現在』と、希美の『現在』に決定的な開きがあることを示唆しているのでは無いかと思う。単純化すれば、みぞれの『現在』が過去からの地続きであるのに対して、希美の『現在』は圧倒的に未来志向である。『disjoint』までの五分間で、二人の『現在』の違いが鮮明に描かれるのだ。


4. 「互いに素」の共通因数

物語はその後激しく、しかし静謐に動きを見せ、生物室の対峙のシーンへと移っていく。演奏シーンでみぞれはその翼の片鱗を存分に見せつけ、二人の立場の逆転は明確になった。希美はみぞれとの実力の差を悟り、それまでの関係を壊し兼ねない自虐的な態度を見せる。みぞれは希美との関係を繋ぎ止めんとすべく、「大好きのハグ」を強引に成立させて、希美が彼女にとってどれだけ大きな存在かを語るのだが、奇しくもそれは希美が求めた類の言葉ではない。

対する希美の返答は「みぞれのフルートが好き」である。みぞれが求めていた言葉もまた別のものであっただろうし、おそらく希美はそのことも理解している。希美の選択は、嫉妬心を嚙み殺しながらみぞれの翼を承認して鳥籠を開くということである。それは『現在』という鳥籠に捕らわれ続けていたみぞれを解放し、広大な未来へと羽ばたく転機を与え得る『愛ゆえの決断』と称しても良いだろう。結果、みぞれは音大の受験を決め、「オーボエを頑張る」という前向きな姿勢を獲得する。

生物室から希美が立ち去った際に、劇中で初めて希美の回想シーンが挿入される。希美がみぞれを吹奏楽部に誘った、中学時代の記憶だ。 それはまさしく、みぞれの『現在』が始まった瞬間であり、両者の時間が僅かに歩み寄ったことが見て取れるのではないかと思う。

「互いに素」は共通因数を持たない数字同士を指すが、例外的に「1」だけは共通因数である。僅かな一点の重なりを『disjoint』な二人は許されている。足音の重なりや「ハッピーアイスクリーム」もまたそんな、偶然の奇跡のような脆い重なりだと言えよう。この先、二人の道筋は離れていくかもしれない。だがそれ故にかけがえのない『joint』の瞬間を、今は心から祝福したいと思うのである。

 

◾️参照・関連ページ

・リズと青い鳥 part 4/4 ラストシーンとdisjoint→joint - 脱成長の電脳1(https://touseiryu.hatenablog.com/entry/2018/12/07/011247

part 1/1から全て頷ける素敵な文章。とりわけpart4/4のラストシーンに対するこの文章は素晴らしい名文でした。

  

・『リズと青い鳥』の長い感想③|よう|note(https://note.com/yoh0702/n/n074686ef3f1f

小物、色彩に関する考察の「赤=オーボエ」とする辺りは唸りました。

 

・彼女がフグを愛でる理由――映画『リズと青い鳥』における脚の表象と鳥かごの主題系 – ecrit-o(http://ecrito.fever.jp/20180925221427

フグと脚の話。学舎という鳥籠で行われたバスケットボールの話も興味深かったです。